
「好きな人との適度な距離が分からない」というお悩みを持つ方の中には、人との距離が ”近過ぎてしまう” 方がいらっしゃいます。
近過ぎてしまう方は、人との間に ”境界線” をちゃんと引けているのか?
今回は、その判断基準の一つとして、ゲシュタルトの祈りを紹介します。良かったら参考になさってください。
■「私があなた」が当たり前と思っていませんか?
ゲシュタルトの祈りとは、心理学の世界では有名な <ゲシュタルト療法> の一つの理論です。
下記の文章を声に出してもOKですので、ぜひ読んでみてください。
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” 私は私のために生きる
あなたはあなたのために生きる
私はなにも
あなたの期待に応えるために
この世に生きているわけじゃない
そして、あなたも私の期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない
私は、わたし
あなたは、あなた
でも、偶然が私たちを出合わせたなら
それはそれで素敵なことだ
たとえ出会わなくても
それもまた素晴らしいことだ ”
by . フレデリック・バールズ
※この詩はゲシュタルト療法を創設した、
フレデリック・パールズによって書かれたものです。
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この考えは、特に共依存、恋愛依存傾向が強い人にとっては、耳が痛くなる詩になると思いますが
人との適切な距離を理解していくには、非常に役に立つ理論なので、私のカウンセリングは、この考えも取り入れています。
これを読んだ後の、
率直な感想はどうでしょう?
あなたは
どう思いましたか?
もしパートナーとの関係や、身近な人間関係に置き換えたとしたら、どう感じるでしょう〜
昔の私は正直・・・
他人行儀だな〜と感じました^^;
ある意味衝撃を受けたというか・・・
冷たいなと感じながらも、そんな人間になれるのか?
もしそうなれるなら楽だろうな〜とか、そうなりたいな〜と思いました^^
でも冷たい、他人行儀と感じてしまうのも
恋愛依存症(共依存)に悩むほとんどの方が、「相手」と「自分」の境界線が曖昧な状態にあるからですが
曖昧になってしまっているのは、共依存症や恋愛依存症という観点から、一言で言ってしまうと
何かしらに "依存" しているからです。
依存と聞くと、例えば恋人とか、買い物とか、アルコールとか
人や物に依存している状態を想像する方もいらっしゃるかもしれませんが
それだけではなく・・・・
相手の世話を焼くこと、相手に必要とされること、相手のためにと尽くすことに「依存」している状態もあります。
人は、相手のために何かをすることは良いことだと判断しやすいため
それが依存からくる思いだとは気づきにくいんですよね^^;
依存とは、誰かから、何かから・・と言った、外側のものから満たして欲しい状態でもあるため
自分を認めて欲しい、愛して欲しい、欠乏感を満たして欲しい思いを強く持っていると
相手に介入し過ぎてしまったり、自分の思う通りに動いてくれないことに怒りを感じ
適切な境界線が守れなくなってしまうんですね。
適切な距離感とは、健全な距離感とも言えますので、人との適度な距離感を保てる自分を作りたい人は
その自分をじっくりと見つめ直してみてください。
この詩は、時間を置いて読むことで、自分の心の成長の進み具合の目安にもなりますから
定期的に確認するのがお勧めです^^
真剣に取り組みたい方は、カウンセリングがとても有効ですので
悩んだらいつでもご相談ください。
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●記事執筆者:心理カウンセラー畠山ユキ子
2011年から心理カウンセラーとして、
4700件以上(2022年現在)のカウンセリングを実施。
専門は愛着障害、毒親、機能不全家族から生じる生きづらさ、心の傷や依存問題、トラウマ感情、共依存症(恋愛依存・回避依存)、母娘共依存、親子関係、職場関係、恋愛関係等の対人関係のご相談を現在も受けています。
過去には「恋愛依存症専門カウンセラー」としてマスメディア出演等の活動経験も有り。